ファンタジーと現実の間

目に見えないこころのこと こころと向き合うゆとり世代の生活

わかってくれた

やっとわかってくれる先生に出会えたのか、私は涙が止まらなかった。

慢性疲労症候群なんてね、だるいだるいと言っていたらつけられちゃう。安易な診断なんだよとのこと。
あとは、解離性転換性障害はまぁ妥当だと思う。
けれど、他にも何かあるよ、とのこと。

怖いのは人だけではないね、社会もだね、と。

また、痛覚のある夢を見るのは本当に珍しいね。と言われる。

そうなのか。珍しいのか。

そして、つかれたーとか、しんどいーとか、嫌だーって言わないでしょう。

たまには自分の気持ち伝えないと周りからも距離取られるよ。

音楽の話とかしてる?

いえ・・全然。

と私。

コミュニケーションには問題なさそうだね。

仕事もなんでもできると思うよ、と
これまたカウンセラーさんと同じ意見だった。

心底安心した。

先生は前の先生が怖かったんだね。
と言ってくれて、その瞬間もう、涙が止まらなくてまいりました。


少なくとも、私の感触としては本当に優しくて、尊重してくれて、そしていい先生、そしていい病院という実感。


過敏な神経を少し弱めたほうが楽だから、薬は飲むようにとのことだった。

転院3回目にして出会えた良い病院。


カウンセラーさんにも報告します。

時が止まる感覚。

昨日は夫の誕生日だった。

カレーを食べながらこんなことを話す。

「私はカウンセリングに通いだした時から時間が止まっているような感じがする」と。
「休職したりと迷惑かけてごめん」と。

すると、夫は「休職に至ったのはあなたのせいだけではないでしょう」と。

はぁ、そうか、そうなのか。

もう私は全ての現象、起きたトラブルに関しての責任を私のせいと受け止めなくても良いのかもしれない。

カウンセラーさんからもまずは突き刺さった矢を自分で持てるようになることを目標にするようにと教えてもらっていた。

元々バラバラだった家庭を必死に調整していた役目から、私はもう降りても良いのだ。

そして、とある方との面談の後、私は心がざわついて止まらないことを伝えた。
面談記録をもとに見立てを立てた。

すると見えてくるのは恐怖だった。

凄く怖くて…と

私は恐怖を抑圧してきた。

この恐怖感は母と一緒。

何をするかわからない恐怖。

その恐怖を伝えたところ手がガタガタと震えていた。

怖いと私は固まってしまう。

逃げるか、耐えるかの選択肢しかない。

でも、職場では逃げられない。

カウンセラーさんから教えてもらったのは
新しい立ち向かい方だった。

レクチャーを教えてもらった。

二人きりにはならないこと。

一つ一つ読み解くと全ては一緒だった。


あなはね、不安がベースにあるのと。

最後に、あなたには感じる力があるよと励ましてもらった。

ぐらついては立て直す。

今度は守り方を知った。

身体表現性障害、解離性障害

見事だった。
見入ってしまった。

私と同じ解離を持つ人はいつだって華麗に交代や失神をする。

その姿を見ると私はなんだろう、この神秘的なさまは…と想いを馳せるのだ。

その直前には過度に緊張する出来事があり、
その、緊張やストレスを私は感じ取る。

あ、あの瞬間だ。

あの瞬間を避けてあげさえすれば、交代する頻度も、失神をする頻度も減ったのに…と後悔の念が募る。


その瞬間を切り取る。


解離はね、
解離する前は覚えてるのという言葉。

後で聞いてごらんと。

何がおきたか。その現象の意味を私は知る。

解離する直前の出来事にはパターンがある。

「ショックだった」
「自分の価値は?」
「助けてくれなかった」
「見放された」

などなど。

そう、ショックの適応を解離して記憶をなくす手段として保持してしまう。


ただ、そこから安心して話せる環境の中で、だんだん、ショックという言葉以外の感情が話せるようになってくれば、解離しなくてもいられるようになるのではないか?と私は考える。


ただ、安心して話せる環境でなくてはダメ。

そこが大事。

だから、私はいつでも話して、教えて、何が起こったの?と聞くことを心がけている。

些細なことなんですけどというものが全く些細なことではない。

その本人にとっては、心の深いところに行き着いてしまう理由がある。


そのことを知ってから、わたしは深く聞く、触れる、手当てをする、をサイクルとして取り組むようにしている。



新宿のとある病院には行けなくなってしまった。
先生と処方箋のことでバトルしてしまいそこから過眠と逃避という手段をわたしはまだ手放せない。

ということで、また一人で悩んで、電話かけたりメールをしたりで繋がった、緑豊かな場所にある古い病院に転院することにした。

すぐに連絡をくれて嬉しかった。

ありがたい。

被虐の支援者、治療者

私のカウンセラーさんは高橋和巳先生が講師をしている虐待防止研修のSVの研修会の開催をしている。

以前の記事で愛着障害のある学生のカウンセリングの様子をまとめた論文を引用させていただいていたが、その方ともきっと、お知り合いだと思う。

本当にたまたま。

たまたまだけれど、愛着が途切れてる私たちを治療してくれる人の存在は本当に少ない。

根本的な治療ができるのはSVで、見立ての整理、愛着の有無、根源的な恐怖と神経症的な恐怖の違いがわかってないと難しいのだと知る。

私は一昨年の12月に、うまく行っていない感じを持ち、インターネットの検索窓に対人援助職、カウンセリングと検索していた。

そして、とあるホームページを見ると、あ、あれ?私、ずっと、違和感を持って、孤立して生きてきたんだった。

もしかしたら、ここでは心が通じるかもしれないと思いながら初めてカウンセリング室に向かった。

何度も仕事を辞めようかと考えていた。

休職するかどうか迷っていた時は、
まだやりたい事もあると思うからねと見守ってもらいつつ、解離の症状がひどくなり、悪夢もひどくて
本当に何をしても何も感じなくなった。

思考だけは優位で、私はいない方がいい、もうみんなに迷惑かけてるだけと思い
しんどすぎて「自分の心のケアができないと人の心のケアも出来ないよ」「休職した方が良い」という言葉で休職をした。

休職するに至るまでも色々とあった。

社内のカウンセラーさんにも伝えていた。
自分と向き合う必要性がある事、その為には仕事をしながらでは業務に支障が出ることは伝えていた。

復職後も継続して私の心の動きを静かに眺めてくれては肯定してもらっていても、

私は先日の面談でも仕事を辞めようと思う、転職も考えてると伝える。「あなたが決めることだから」と。

私はやっぱり、今の場所、環境にいて良いと思えない。

本当に思えない。

どの職場、どの会社に行っても同じ現象が起こる。

いつも、同じパターンで退職をするか、退学をしている。

それは避けたいし、バーンアウトもしたくない。

だから、這ってでも仕事に行っているわけなんだ。


昨日、悶えるような頭痛、肩の痛み、なんとも言えない辛さしかなくて、体を動かせず結果的に通院に行けなかった。

連絡もできずに行けなくなってしまった。


この先、本当にどうしたら良いのだろうか。


私は、想像上の安全基地がただのファンタジーだったとわかったのに、とてつもない恐怖感と絶望感が一気に押し寄せてくる。

だめだ、明日は仕事だ。

役割もある。

寝ないといけないのに。

心細さで、朝が来るのが怖いと感じる。


このまま朝が来なければ良いのにと思う。


この世界にいたら生きていけない。

生きていけないのに。

生きてる。

ダブルファンタジー

孤独と愛着-ダブルファンタジーへ生きのびる人々-

孤独と愛着-ダブルファンタジーへ生きのびる人々-

この本を読んだこと、根源的な恐怖を持っている人たちがいることを知り安心を得たことをカウンセラーさんに伝えると、知り合いだよ。一緒に仕事しているよ、と教えてもらった。
自分が被虐だったんだと知ってからずっとブログを読んでいた事。

そして、私が作り上げた想像上の母親像が崩れた事、そのことを理解して実家に帰ったこと。

心が静かだったことを伝えた。

私は変なお母さんに育てられた。

何度も言われていたけれど、
心のどこかでは「そうではない、お母さんはいた」と打ち消していたし思い込もうとしていた。

けれど、本当にいなかった、ことを知った。

それからは、自然と距離が出来た。

あぁもう良いんだ。

わかってもらえなくて、わかろうとしなくて、

よく頑張って生きてきた、だから、もういつ死んでも良いんだと思えて安心したと。

すると、カウンセラーさんは良かったね。
と返してくれた。

虐待の重症度の例をあげると子の危険を回避できない、この類と、親が子をいじめて楽しんでいるにはいるかもしれない。


本当に私は被虐だと知れて良かったです。

実はバーンアウトしたのは3度目。

病院に行ってもわかってもらえないと思ってたこと。

自分がいけないんだ、自分がちゃんと出来ないからと、自分で解釈をして思い込もうとしてたけど、
もう、そう思わなくて良いこと、
そして、母から言われていた、
「ビリから二番目で良い」という言葉を、私へ安心させたいから言ったんだと思い込もうとしてた、
けれど、本当は、「社会の際、社会からはみ出て生きていきなさい、法に触れなければ良い」という感覚を私は持っていたこと。

だから頑張れなかった。

無気力の根源であること。

また私は女性性を否定したかった。

思春期の頃、生理が止まった。

どうせ、母に言ったところでと思って、放置していた。

すると、自然と生理が始まった。

女性であることが嫌でたまらなかった。

一時期体重が30キロ台になった。

痩せること、痩せていられることで、私は自分の中にある嫌な部分を見ないようにしていられた。


自分が嫌だ。

自分を隠していきたい。

そんな思いが強かった事を伝えた。


すると、本当に色々思い出したね。

また、すべて繋がっているよ、と言ってくれた。

自分を消したかった事

それがすべて繋がっていった。

そして、私はカウンセリングを始めたころ、

私は人を守れるのか、人の尊厳を守れるのか、尊重できるのか、それが自分の大切にしたい事だった。

自信が無くて、私はそれが出来ているのかわからない、その緊張感から、解離を頻発してたようだった。


小学生の頃自分が自分の背後を眺めている絵を描いた事。

だから、小さい頃から解離してたかもしれないと伝えるのだった。


私は、私が守っている。

私は一人で生きてきた。


どうせ何もない自分なんだから、と重たい体を持ち上げて社会の輪にどうにか入っていた事。

色々なことが走馬灯のように巡りましたとつたえた。


カウンセラーさんは、あなたには母性があるよ。

大丈夫と言ってくれた。

けれど、あなたの仕事はそれを実感できる機会が少ない。

被虐の人は何らかの障害名がついて施設にやってくるかもしれないけれど、統合失調症や、発達障害は、そう言った想いをいくら伝えても繋がらないケースが多い。

だから、反応を見ること。

そうすると、バーンアウトしなくなるよと。


最近、わかってきたんです。

あ、この人は本当に重たいなぁと。

カウンセラーさんは続ける。

あなたのしたい、心理的援助については、被虐の人へは通じるかもしれない。

苦しさを感じるとは思うんだけどね、けれど、苦しい→理解してもらえた→その先には安堵感が待ってるよと。

残り9割の人へはソーシャルワークだよ。


だから、見立てる事、距離をとる事、反応を見る事、それを私は試して見ながら、自分の知ってる世界観を確認する事。

また、一つ目標ができた。


そして、良い感じだよと褒めてもらった。

そして、私は支援職を通して、私は、被虐ママと同じ感覚を味わっていた。

それが長く続く緊張の原因だった。
まだ、ダメだ。助けたい。
けど、上手くいかない、そのループだった。


最初の頃の面談で、本当によく生きてきたねと言われた意味を再確認する。