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ファンタジーと現実の間

目に見えないこころのこと こころと向き合うゆとり世代の生活

生育歴について

家族のこと
祖父、祖母、父、母、姉、兄の7人で私が生まれたときは暮らしていました。

姉とは8歳違い、兄とは6歳違いで生まれた私。
その頃祖父はぼうこう癌で闘病しつつも私の面倒をたくさん見てくれていました。
一緒にカタツムリをとりにいったりと、女の子には優しい祖父は死ぬまで愛人がいたらしく、そのこともあってか、わたしが小さい時に祖母が川で入水自殺をしようとしたらしく、大変だったと最近になって知ったのです。


母は毎日病院に行く感じだったとはなしていた。

トラウマの記憶は結構小さい頃からたくさんあって、祖父はアル中で、ちょっとしたことで猛烈にキレる。3歳くらいの記憶だと思うが、庭の木をノコギリで切り倒したのをただ呆然とみていた記憶。祖父と祖母が喧嘩すると物が飛び交う。


それと、私の誕生日に祖父と祖母が喧嘩していたのはなんとなく寂しい思い出として残っている。


父は消防署に勤めていたから結構家にいない日もあれば家にいたとしてもパチンコに行ってしまうのです。
祖母も祖母で毎日のように、パチンコに行き毎日毎日お母さんの愚痴を話すのです。

なんかこうかいていたら、大したことのないようにも思えるけれども、小さい頃からそういったことが当たり前に起きていたことは、育児をする上で母の負担はものすごく大きいものだったと思います。

母はなるべく家にいたくなかったんでしょうね。

父も本当に怖くて、食事の仕方でよくわたしも怒られていた。足を立てただけで怒られるから、正座してご飯を食べてた。

姉から最近になって聞いたけど、父に小さい頃押入れにいれられたといっていた。わたしはそういう体験はしていない。
なぜかといえばいかに怒られないように振る舞うかを常に意識していい子を演じてきたから怒られないようにする術を幼ながらに身につけ、我が儘は言わない、口答えしない、はいわかりました。ごめんなさい。と伝えあとはただテレビを見てお父さんのいったことに、必ず合いの手をいれるなど、よくできた手のかからない子を演じていました。常ににこにこしてお父さんはすごいね!って必ず褒めるのです。

カウンセラーさんにあなたは3歳くらいから大人の役割をやってきましたと言われたのはこういったことを想像してのことだと思います。

そして、それを姉は面白くなかったのか、姉との間には大きな距離が生まれていた。

私が15歳くらいの時に姉が言った言葉は今も忘れずに覚えていて、
『おかあさんはいつも私と妹を比べる!』って泣きながら怒っていた。

姉はどこかで私に対するもんもんとした気持ちを抱えていたようなのです。

それは、今も私は姉に対してどこか遠慮した気持ちを持って接する要因になっているとおもう。


家族の話はもっと複雑なんだけど、文字にすると大したことないように思えてしまうし、書ききれない。

まぁ、いかに怒られないように振る舞うことに意識を向けてきたかだけでも、いま文章にしながら自分自身でも振り返ることができたから、よしとします。