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ファンタジーと現実の間

目に見えないこころのこと こころと向き合うゆとり世代の生活

心理的ネグレクト

被虐待児だったらしい

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

私は、ネグレクト(放置と無関心)、心理的ネグレクトであると、指摘された。愛着関係が築けないそうだ。

心理的ネグレクト、うちの親の場合は、共感性に乏しいこと。だから、私の兄弟も皆どこか共感性の乏しさがある気がする。
特に姉の場合は心配⇨怒りの感情と繋がって、全否定してきて、とてもつらかった、、もういい、お姉ちゃんもつらかったんだねと伝えると少し落ち着いたが、そうやってどこか未発達な部分を抱えて育ってしまったような気がする。
わたしは、ずーっと、自分に発達障害や軽度知的障害があるのではないかと疑っていたが、カウンセラーさん的には葛藤を抱えられる人は知的の問題はないとのこと。抑うつ的にはならないとのこと。
 
 
 
そこで、愛着障害の本を。
この本にある診断テストをした結果、恐れ回避型(未解決型)だった。
 
カウンセリングでも、診断テストした結果恐れ回避型だったことを伝えた。
 
私は以前まではうちのお母さん最高!いい人!だと思い込んでいた。けど、やっぱりなんだか違和感を感じてしまっていて、小さい頃から無関心だった。小さい頃、喉が渇いて近くに置いてあった缶コーヒーを飲んだらなんと、タバコの吸い終わった灰が入っていて飲み込んでしまったけど、親はいないから一人で慌てて牛乳を飲んだ。あとで気づいたけど牛乳をのむのは対処療法として正解だったらしい。たぶん、5歳以下の出来事だとおもう。暗い部屋にいた気がする。そして、わたしはふらふら商店街にいき、保護されたりしていた。ようは、どこにいっても、なんにも言われない。外出していても気づかない。ただ、唯一親がしていたのは、仕事に行く前に書いたであろう置手紙。
それをみながら、ご飯をあたあめて、お昼ご飯を食べてたかな。
つかれてない?とか、そういった、思いがこもった言葉はなくて、お母さんはつらかった、あのとき大変で、借金があといくらで、あの家のあの人がーって始まる。あーまただともいながらも、大変だね、それはさぁ、こういうことだよ、とかそうやっていつもお母さんのケアをしてきたが、私のケアは?っていつも思っていたなぁ。
 
よく覚えているのが、胃腸炎で苦しかったり、腎盂腎炎になって点滴打った帰りでも、あーそのくらいですんだのー、といった感じ。それで、終了。自分で病院くらいは行くのが当たり前。自立しているといえばそんなんだけれど、どこかむなしかったなぁ。。一人でケアするの。
 
そして、消えたいの本から引用させてもらいます。下記の事例は、本の中にわたしがいたと思った文章です。
 
 
 
心理的虐待は子どもの心の中に奇妙な、矛盾した母親像を作り出す。
彼女は、いつも怖い母親だったと振り返る一方で、
「食事もお弁当も作ってくれた」「叱られたことはなかった」、
だから母親は優しい人だった、と言う。
母親は怖いという冷たい距離感と、母親は優しいという思いとが同居する。
心理的虐待を続ける母親が、子どもに優しいはずはない。
叱らなかったのは、子供に無関心だっただけだろう。
しかし、放っておかれたことを「優しかった」と被虐待児は翻訳して理解する。
食事を作ってくれたのは、家族の食事と一緒だったという理由だけだろう。
しかし、彼女はそこに子への愛情を読み込む。”
 
 
愛着障害の本の中に親に対して、なにを書いたか。わたしは、祖母、父、そして母に対して[こわい]とかいた。
 
お父さんをとても嫌悪していたのはお母さんからのコントロールからで、お父さんの方が愛情豊かで結婚式では泣きながら抱きしめてくれた。母は無表情でただただ冷たい人だと思った出来事だった。大好きな母だったけど、心理的ネグレクトのことを指摘されてからは別物だと感じることがやっと出来て、今は連絡をあまりとらないようにしている。連絡がきたとしても、また私は母の望むケアをして疲弊するだけだし、自分たちの問題は母親自身で解決しようとしなければ私達兄弟がいろいろ手を打ったとしても、気にくわないことがわかったから。
 
お兄ちゃんはこわいと母は言うけど、兄も私もとても母を思って行動した数々の出来事に対して感謝の気持ちもないのかぁと思ってとてもあきれた。そのことは、お兄ちゃんには絶対に言わず、私に言うのももう疲れた。母に振り回されて生きてきたと、実感する。