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ファンタジーと現実の間

目に見えないこころのこと こころと向き合うゆとり世代の生活

クローズアップ現代 ペットビジネスの闇

メディア

 
ペットビジネスについて。
わたしは、とあるペットショップの闇をみた機会があった。(しごとで)
そのペットショップは表向きは綺麗に整理整頓されているのだが、地下の在庫置き場はとてつもなく雑然としていて、そこにゲージに入れられた一匹の犬がいた。
その犬は見るからに怯えきっていてきゃんきゃんずっと吠えていた。 ペットショップの管理者からこの犬はキチガイだからと説明されて、とても胸が痛かった。
ペットショップでは絶対に動物を飼わないと誓った。
 
 
 
 
 
わたしは、小さい頃から動物や虫、植物に癒されて育った。
小学生のころは飼育委員として、鶏やヤギやうさぎの世話を毎日のようにしていた。
そのため、家でも犬を飼いたいという思いがふつふつわいて、合同庁舎で殺処分される前の犬を引き取るじゃんけん大会に毎週のように通っていたが何度もじゃんけんに負けていつの日かやる気を削がれてしまい、とりあえず亀を買う事にした。
500円玉くらいのミドリガメが20センチほどになったとき、なぜか脱走してしまいいなくなってしまった。クワガタやカブトムシ、鈴虫、幼虫からモンシロチョウに羽化するまで育てたりした。
 
それでも、犬がどうしても飼いたかった。 
父と一緒にペットショップにいき、ラブラドールレトリバーを抱っこした瞬間連れて帰りたくなる衝動にかられ父もいいぞーというので、ペットショップから購入した。今思えばもう少し踏ん張って里親からとか違う方法で犬を譲り受ければよかったんだけれど。
 
 
近くのスーパーに買い物ついでに、散歩して、リードをくくりつけて、待っていてねとつたえたが、なんと、スーパーを激走する我が家の犬。小学生のわたしはびっくりしてどうすることもできず、すみませんすみませんといいながら、保護した。とても、気持ちよさそうにスーパーを激走していた。笑
 
このように、愛犬とのふれあいのなかで、日本社会はペットを飼うことで、まわりから注意されたり、ときには愛犬に噛まれたりくじけそうになることもたくさんあった。
かわいいだけじゃないんです。いのちだからね。
でも、わたしが、おばあちゃんから怒られ、誰も守ってくれないときに、癒してくれたのは愛犬だけだった。ぺろぺろなめて、優しい眼差しで見守っていてくれた。わたしの機嫌がわるいときも、愛犬だけは見捨てないでいてくれた。
 
わたしのなかでは、家族らしい愛情を一番与えてくれた存在というのは、愛犬だった。
 
母からの連絡で愛犬が死の淵を彷徨っていると聞いたとき、すぐに駆けつけた。
そうしたら、なんと、わたしが家に入ったときは息も絶え絶えだったのに、わたしの方まで歩いてきてくれて、そこで息絶えた。
 
待っててくれてたかのように、看取らせてもらった。
 
 
翌日葬儀会社がくるため、仕事は有給を取らせてもらい最後のお別れをした。
 
本当に本当に世界で一番すきな、誇り高い愛犬でした。いつも優しくて、小さなこどもにも愛されて、近所のおじぃおばぁにもたくさん可愛がられていた。
 
命なんです、絶対に捨てちゃいけない。
 
そりゃ、いろいろな問題があって捨てるにいたるんだと思うんですが、こどもと同じように言うことも聞かないときもあるし、事故もするし、病気にもなる。それだけの責任が社会からも追及される。それに目を背けてはいけない。
 
人間のナルシズムだけで、飼うのはわたしは反対です。それだけ、命というのをかるんじてはいけない。
わたしはそう思います。
 
 
高校生のころに実際に見た牛の出産現場。
命の誕生を目の当たりにして、きょうもわたしたちは様々な動物や植物などの生命から命の恵みを頂いているわけです。
 
大量生産大量消費の現代に、どんな価値観が育ちますか?
 
一時期ベジタリアンの食事(魚は食べるけど牛乳、卵、お肉は食べない)野菜と、ご飯だけの生活をしていたときがありました。
わたしたちは動物がどのように流通にまわっているのか、知る権利があります。
 
残虐に捨てられる命を守ることもできるし、見捨てることもできる。
 
もしも、わたしがまたペットを飼いたいなぁと思ったとしても絶対にペットショップからは買わないでしょうし、見た目は綺麗を装い裏は闇というペットショップを見た経験から、そのようなビジネスをする会社は衰退していってほしいと思います。