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ファンタジーと現実の間

目に見えないこころのこと こころと向き合うゆとり世代の生活

定型発達者と非定型発達者

カウンセリング 被虐待児だったらしい 雑記

私は非定型発達者だと思っています。

定型発達者=発達段階で解決すべき問題を乗り越えていけた方で、人の気持ちのわかる人、と捉えていただければいいかなと思います。

私の場合は、想像力がなくて、その場の雰囲気に合わせるだけ。
本当にその人の気持ちがわかるかどうかは置いておいても、定型の人は死にたいとか思わないらしい。

私は、自分にまとまりつく虚無感と、20年間位付き合ってきた。
まぁ、その虚無感の原因は養育環境。お母さんだと、気づいてくれる大人がいなかったからと知った。

私の違和感をカウンセリングを通して確認していくたびに、定型発達者(カウンセラーさん)の情緒の豊富さに気づいて、それにつられて私も、泣いたり、怒ったり、笑ったり、安心てこういう感覚なんだと、少しずつだけれど、気づけるようになった。

ここまで来るのに、7ヶ月かかった。

私の場合は、頭でわかろうとするから、それはそれで、周りからしたら理屈っぽい、性格が男っぽいと写るのかなと思う。

例えば、最近になってわかったけれど、
〜〜っぽい。
と、すぐラベリングするのは、理解したいや安心したいという気持ちが隠れていて、
「あの人って、〜〜っぽいよね。あの人は〜〜ああいう人だから」と、なる。

それを定型発達者の方々はなんの違和感もなく使っていると思うけれど、
私は、「ええ、そんな風に見えるかな?っていうか、簡単な言葉で一括りするの?なんでなの!意味わかんない!。〜〜っぽい人ねって、私にはそうな風に見えないんですが」

となる。

ね、理屈っぽいよね。笑

ラベリングされると、そうじゃない私を認めてくれないみたいで、
いや〜そういうことじゃないんですけどね、そう見えますか、そうなんだ…

と、心に引っかかったりする。


カウンセリングで、扱うのは
こころに引っかかったこと。


その中に隠れている、理解したい、安心したいという気持ちを知る。そして、生活の場面で、あー、この人は理解や安心がしたくて、私にラベルをはりたいんだなぁ。まぁ、協力してみようかな。
なんて、いう風に、自分で覚悟をつけることが出来るようになれば、漠然とした不安や恐怖に包まれることなく、立ち向かうための、手段を考えられるようになる。

きょうは、通院です!

早起きできました!

行ってきまーす。