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ファンタジーと現実の間

目に見えないこころのこと こころと向き合うゆとり世代の生活

なぜ私は文字にするのかの問い

私は特別文章を書くのは得意ではない。
けれど、自分がわからなくなる恐怖感から私はこのブログに文章を落とし込んでいるように感じる。
自分がわからないから、自分の状況を確かめる、記録を残す、何故この行動をしているのか?何故このように感じるのか?を客観的に分析するしか立ち直る方法がないと感じるからで、カウンセリングの後もふらふらと魂が抜けていく感覚があるから忘れないように、大切な言葉をかけてもらっているのに感じられない不信感から文章に残しているのだと思う。

いくら、私が存在しなくても消えて無くなっても、私は私という感覚を取り戻したいのだ。


自分の状況さえもわからない
自分の感情さえも信じられない
自分の痛みにさえも無関心

解離というのは心理的自殺に近いのではないかと分析してる。


先日、カウンセリングの為、支援をする自分の為にも必要かと感じ購入した本がある。


ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1

ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1



私にも仕事をしているときはモードが切り替わるという表現をしていた。
何も感じないのだ。

ただただ淡々とこなしている。

職業を得る為に選んだコーピング

感情を遮断し心を閉ざし一切の感情を出さないでしのぐ為ものすごく疲れるのである。

カウンセリングでも、そのときの気持ちは?
ときかれても、「無」です。
と答えていた。

「本当に生きてはいない」
「感情を見るのが恐ろしい」

というのが私の感覚だった。

それをまた実感させられる会話があった。
同僚に「そんなにたくさん事務作業していて負担ではないか」と聞かれ、
私の答えは
「辛さとか何も感じないのです。今まで1人で入力したこともあったのて、全然問題ないです。」
という感じ。

本当は感情を抑え込んでるので、問題ないはずがない。薬も増えてるわけで私の無関心さは、周囲をも寄せ付けない感が出てるのではなかろうかと分析したのであった。

なぜ、おかしいと思うことに怒らないのか。

それも、結局私のコーピングだったのでしょう。


でも、達成感も感じられない、経験が積み重なっていかないの。それは、生きてる感覚がないから。


そして、周囲からはこころのやり取りができない男性的な思考の人、という評価に繋がる。


このコーピング割と損なのかもしれないと気づくのだった。