ファンタジーと現実の間

目に見えないこころのこと こころと向き合うゆとり世代の生活

ズレ

仕事にはどうにか行っている。
わたしは果てのない薔薇の道を進みながら何かを探している。それは何なのだろうか。


日々の業務の中でも
枠の設定、そこからの本人の自己理解を促すためのカウンセリング、心の動きを見つめながらその人と関わる。
たいてい答えはその人の中に存在する、その存在、見え方をわたしは読み、言語的な解釈を用いながらその人を見る。


・見守っていてほしい
・相談に乗ってほしい
・一緒に考えてほしい
・良い面も悪い面も持っている
・枠に収められたくない
・放っておいてほしい


矛盾していると思われる背景の中には
同じような心の理論がある。



今日、同僚からこのようなメールが届いた。
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なんか今日(も)とてもたくさん助けてもらった気がする。

ありがとうございます、
嬉しかったし、ーさんがフォローしてくれるとなんか安心する。

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普段その人と接しているわたしには安心という感情は皆無に近いのに。

不思議だなぁと感じた。


常に緊張と大丈夫感のなさで揺れ動くのに。


そして、消えたいという本を別の同僚に渡した。

冒頭から重いと言われる。

そうかー、そうなのかー、

私はこの本を読むと心から安心を得れるんだけどなぁ。

カウンセラーさんから何度も伝えてもらっている
見たくない世界だからね、という言葉。

そうかー、重くて苦しい世界は見たくないんだね。

その同僚にわたしは伝えた。

私は心理的援助のための面談をしており、その手法はカウンセリングなのだと。

その人が決めて行く、進んで行く過程をただ、俯瞰しているだけなのだと。

この俯瞰する行為自体に彼はしっくりこなかったんだと思う。

こうして行く必要があるという価値観を彼は持っていて、私は別にあってもいいし、なくてもいいという価値観のためズレが生じる。

それは埋めようもないズレであり

そのズレがあるからこそパーソナリティというのは浮き彫りになる。

ある種の対人援助の場面でその人らしさを活かすにはこのズレや価値観を自分が知っているかに尽きると思う。

私は、私は、私ってどんな人なのだろうか。

と自分に問うて来た18歳頃からのアイデンティティの不形成。

私にはアイデンティティがないと思っていたけれど、
此処へ来てやっとあると認識できるようになってきた。

それが先日カウンセラーさんに伝えてもらった
「土台」に当たるのだろう。

アイデンティティが不明瞭になる原因の一つに
私の場合は母との関係性がある。

今ふと思ったけれど、
この母親のもとに生まれて生きてきた事に違和感しか感じていなかったし、深い悲しみが存在していた。

ただ、その環境の中でしか見えない世界、
それが活かされるのであれば
見えない世界が見える私という存在感を
私は持っていたということになる。

それはそれで良いのかも知れない。

それがなかったら私は心の理論の背景がわからない、普通な人だった。
だとしたら、とてもつまらない人生だなぁとも感じた。

人の心に触れ、人へ安定や安心感を提供できたとしたなら、私はこのズレを持ってる自分を好きでいられる。

心理的な援助ができる自分になっている自分を少し誇らしく思えるのかもしれない。