ファンタジーと現実の間

目に見えないこころのこと こころと向き合うゆとり世代の生活

本当の受容

不思議な体験をした。

ずーっと潜在的な死について考えていたのだけれど、
前までだったら「死んでは困る」という価値観の中で面談をしていた。

先日のカウンセリングで私には安全基地と言う名の母親像が内在化されてないことを知り受容できたことで


「私はこれだけよく頑張ってきたんだから、もういつ死んでも良いな」と思えて

すーっと心が楽になった。

制限が外れた瞬間だった。

希死念慮のヒアリングをするたびに思ってたんだけれど「死にたい」というより、「死にたいくらい辛いんだから、理解してよね」みたいな見立てを感じるケースと

「あっ、この人本当に死が隣にあるな」
と感じるケースとあって

それぞれの「死」の考え方や感触が違うことを最近わかるようになった。

因みに軽いケースには、あまり感情移入はせずに応えられるが、重い方のケースには私はまんまと感情移入をする。


それは、きっと、誰にも言わずに秘めておいた、死というものがすぐ隣にある感触を私が持っているからだったんだと思う。


私は達観できると、とても楽になり、

「死んでもいいな」は
辛い環境の中生きてきた自分を知り受容していく過程の中で心の深いところまで届いたこと。

そして、もうこんなに頑張ってきたんだからもういいんだと心の制限を外せたこと。

「死んでもいいな」は
個人的には希死念慮ではないと思っている。


そして、私は人は再生の道を歩みだす。


希死念慮をどうにかしたいと焦らなくていい

きっとその人の心の中で受容していくプロセスが存在するのだと思う。


私はいつか、その人がその人の人生をリスタートできる日が来るまで見守りたい。


いつも読んでたこの記事をリンクに貼っておきます。

こころが制限を外すということ、こころが死ぬということ | 依存やトラウマのカウンセリング−埼玉・東京・神奈川・千葉